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執筆者の写真石塚

「働く」には二種類の意味がある。そして、ずっと働くために。

老後いまの暮らしを維持できるのか。年金って自分はいくらもらえるのか。何歳まで働けばよいのか。周りのみんなはどうやって将来の不安と戦っているのか。


少し前に「LIFE SHIFT(ライフ・シフト) 」という書籍が話題になりました。書籍によると、仮に65歳で引退して(100歳まで生きるとして)最終所得の50%が必要だとすると、現役時代に所得の17・2%を貯蓄していないといけないそうです。仮に77歳まで働くと8・5%の貯蓄で済むそうです。


65歳以上になって働く術はあるのでしょうか。


現在の就労はフルタイムの勤務が前提になっています。週40時間以上の勤務と、週20時間の勤務では労働時間は単純に2倍ですが、フルタイム雇用と時給での働き方の収入の差は2倍どころではありません。5倍や6倍やそれ以上の開きがあります。現役を引退した後は、年金と時給の仕事をたまにしながら、少しでも収入が増えたら良いなと思いながら生活している人が多いと思います。


いま僕は難病を持つ人たちの就労支援をしています。難病の人の中には障がい者年金をもらいながら就労している人がいます。生活自体を良くしていこうという思いは誰もが同じ。しかも病気がある人は治療費の問題がオンされます。


難病の人は通勤や長時間労働が難しい人も多く、ある程度の金額が担保されながらも、自分の身体に負担をかけないで働ける環境を探し求めています。


引退後の働き方と、病気を持つ人の働き方は似ていると気がつきました。


いま難病の人が抱えている問題は、多くの人の老後に暮らしに起こる事と同じです。


だとすると、どうすれば難病や年齢を関係なく働ける環境が整うのか。


私は「働く」には二種類の意味があると思います。ひとつは生産・流通・サービスシステムなどを合理化して、世界にバリューを生むことです。人間に肉体がある限り、人間の肉体が成長し代謝を行ない死が訪れるまで、生命が維持される過程の中で消費されるものを生産・流通させることは人が生きる上での条件です。


もう一つは自分の生きている時間を楽しくすることです。仕事をすることで自分の存在価値が生まれ、意味が生まれ、時間も生まれます。それが歴史や信用を作り出して、その中にいることで尊厳も生まれてきます。すべての人に尊厳が必要です。


65歳を超えると尊厳を失っていく人が増えます。地域包括ケアセンターを取材したときには、男性性を生きている人は家からでなくなって、食事の量が減っていく人が増えると聞きました。難病があったり、そもそも働くことが難しい人にとっては65歳など関係なく尊厳を奪われている人もいらっしゃいます。人間の尊厳は、集団の中で、人と向き合っていく中で生み出されるものだと思います。それは比較的なもの、歴史的なもの、時間的なものから生成されます。


経済活動だけを見ていると尊厳を失うし、尊厳だけを見ると合理化されません。これらの二つをどうやって継続的に、年齢や病気の有無を関係なく生み出し続けられるのか。


少しづつですが行動に伝播する感触を掴み始めました。


これらの理解は「人の構造」と「集団の構造」を身体的につかむところから始まります。




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